私にとって母とは最も尊敬する人です。
そうです。世界の偉人とかどこかの有名人などではなく、母です。
それは、今も私がこうして「当たり前のように普通に生きていること」は母の存在があったからだと思うからです。
別に何か大きな事件の時に助けてもらったとか、そういうわけではありません。
むしろ、当たり前すぎて忘れてしまいそうになる、日々の小さな積み重ねが、いかに大きなものであったのかを感じます。
例えば、日々の食事。私は実家に暮らしているので、朝と夜は家で食べることが多いです。
私が生まれてから今まで、ごはんが出ないなんてことは一度もありませんでした。
家の中もきれいで、花壇のお花もきれいです。
私が夜遅くに帰ってご飯を食べるときは、毎回ご飯を温めてくれます。
私は温めるのが面倒で冷たいままでも食べようとしてしまうのですが、毎回温めてくれます。
それって、当たり前なようで、全然当たり前では無いと思うのです。
それくらいありがたいことだと思うのです。
当たり前のことが一番大切。
この言葉には心当たりがあります。それは、私が中学生の時に遡ります。
私は当時サッカー部だったのですが、その時の監督が常に大切にしていたことが「当たり前の基本の動作をしっかり身につけること」でした。
私は教え通りに、部の中で一番努力したと誇れるくらいに、基本の動きを練習しました。結果は必ずついてきました。
その頃から、私には当たり前の大切さが染みついています。
そして、それは母という存在に対しても言えることなのだと思います。
小さい頃、公園が好きだった私は毎週のように公園に連れて行ってもらいました。
小学生から高校生まではお弁当も作ってもらっていましたし、台風などの日には送り迎えもしてもらいました。
部活の用具も買ってもらいました。学費だってそうです。
大学に入学してからはバイトなどの関係で家に帰らない日も増えたのですが、夜遅く帰った日には必ず晩ご飯が準備されていました。
私が生きていく上で必要なことを当たり前のように、してもらっていました。
あと1つ感謝していることがあります。
それは、学業や将来のことについて自由にさせてくれたことです。
私はこれまで、勉強をもっとしなさいとか、ここに就職しなくちゃだめだとか、そのような言葉を親の口から聞いたことがありません。
のびのびと私の思うままにしてくれました。
言わないのは信じてくれているからだと思っています。
今ではたくさんの人に恵まれ、充実した毎日を送っています。
それは、紛れもない母の存在があったからです。
この恩を返せるように成長していきます。
お母さん、ありがとう。これからもよろしく。