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【私にとっての母とは】うるさいけど、一番の理解者

どんなに苦しくても諦めたらそこでおしまいだよ

私にとっての母は、うるさいけど、一番の理解者です。

正直、母の譲れない主張や人には要求厳しいのに自分には甘いスタンスをみて、自分は母に似てしまったなとその場面に出くわす度に自分を戒めています。

私の母の譲れない主張の中に、「どんなに苦しくても諦めたらそこでおしまいだよ」というものがあります。

この言葉に今まで何回救われ、今も何回救われているか数えることはできません。

私は野球部に所属していましたが、部活動が嫌になり中学生・高校生のころに何度も退部届を書いてはお母さんに「もう部活辞めたいから明日先生に退部届け出してくる」と言いました。

普段ならすぐに怒るのに、私の本当に辞めたい表情を見て、何時間も話を聞いては寄り添い言葉をかけてくれました。

そして最後には「どんなに苦しくても諦めたらそこでおしまいだから、もうちょっとだし頑張ろ」と言ってくれました。

そのおかげで、小学校2年生から高校3年生まで部活動を続けることができたと思っています。

高校受験前日は勉強をせずにお母さんと先祖の墓掃除をした

あれが私の人生を変えたなという瞬間を挙げるとしたら、それは中学3年生の受験日前日の先祖の墓掃除です。

最後の模試で合格確率20%の到底届きそうにない高校に残り1ヶ月で追い込みを蹴ければいけるだろうということで受験を決めました。

最後の一ヶ月は死に物狂いで勉強をしましたが、正直不安でした。

受験の前日にお母さんは「もう勉強しても変わらないから最後は先祖頼みだから一緒にお墓の掃除にいこう」と言われました。

その日は数時間かけて墓石についた苔などもきれいにとるようにお母さんと掃除をしました。

そのおかげで当日は手が苔の匂いがしたけれど、自分を信じて試験に望むことができ、逆転合格的な感じで入りたい高校に入れたという思い出は私の忘れることができません。

今、その話をすると「やっぱりお母さんの言ったことが正しいでしょ」と自慢げにいう姿は少しムカつきますが、あのお母さんに育てられていなかったら、今の起業家という人生を歩んでいなかったと思います。

そして先祖に感謝をするという習慣はここで生まれ、今でも年に数回は父母のご先祖のお墓に日々の報告にいくようになりました。

私の夢は、前の時代をいきた人が成し遂げることができなかった想いや夢を少しでも前進させ、次世代に受け継いでいくことです。

この夢を持つことができたのは、きっと中学3年生のあの出来事がきっかけだと思います。

私にとってのお母さんはうるさいけど、一番の理解者

「泰英のことは生まれたときから知っているんだから一番よく知ってる」と言われます。

私は「いっぱい嘘もついてきたし、隠し事もしてきたから知らないことだってあるし」と思っていましたが、本当に大切な決断をするときにお母さんの言葉が参考にならなかったことは一度もありません。

今まで全てお母さんの助言に従ってきたわけじゃないけれど、どうしても最後決断するときにお母さんの言葉が忘れられずひっかかるのです。

それはもう直感的なことで、「ここでお母さんが納得していない状態でことを進めるのは正しくないんじゃないかな」って思うです。

私はとにかくイケイケドンドン的なところがあり、ノリと勢いがあればなんとかなると思って事を進めがちです。

きっとそのスタンスは小さいころからだったのでしょう。

お母さんは、そんなときこそ足元がすくわれないように戒めの言葉をかけてくれるのです。

私もそんなに素直じゃないから、すぐに「そうだね、ありがとう」とはならないけれど、少し経って考えてみると「そこの部分の気持ちが緩んでたな」とか「お母さんだからこそ見えてる助言だわ」ってことがよくあります。

お母さんの言葉は私にとって一見自分の感情だけで話しているように見えるけれど、その裏には23年間私にありったけの愛情を持って育ててきたお母さんだからこその助言なんだと思います。

そう、私のお母さんはうるさいけれど、私のことを一番よく知る理解者です。

いつもは「ありがとう」とか伝えると「次は何企んでするの?」というけど、今回は本当に純粋な気持ちで感謝を伝えます。

23年間育ててくれてありがとう。

この23年間よりも次の23年間がもっと楽しくなるように小泉家の長男として、盛り上げていきます。

なのでこれからもよろしくお願いします。

小泉泰英

【母の日の発酵ギフト】届けたいのは「ありがとう」

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