僕にとっての母とは
僕にとっての母とは、「何があってもいつも自分のそばにいてくれる存在」だと思う。
僕は中学卒業と同時に親元を離れ、高専に入学して寮生活をしていた。
そこでは、想像もしていなかった厳しい寮生活が待っており、入寮して1週間で僕の声は出なくなった。
あの時は毎日、「なんでこんなところに来てしまったのだろう」と思っていた。
そんな時、いつも心配してくれていたのは母だった。電話越しに精一杯のかすれ声で話していた僕に、震える声で心配してくれた母。
母はすぐに寮に荷物を送ってくれて、そこにはのど飴やのど薬などがたくさん入っていた。惨めな姿を見せてしまう自分が情けなく感じ、もっと強くなろうと思った。
高専3年の秋、僕は高専生活にやりがいを感じなくなり、本気で辞めたいと思うようになり、母に相談した。
その時はちょうど、僕が幼い時から大好きだった祖母が亡くなって精神的に病んでいた時だった。
そんな時でも優しく励ましてくれ、正面から向き合い、自分の考えが間違っていることに気づかせてくれたのが母だった。
高専の受験に合格した時は、僕自身よりも喜んでくれて、あの時の母の顔を思い出すと、なんで高専を辞めたいなんて思ったのだろうという感情が込み上げた。
母がいなければ高専を途中で辞めていたかもしれないと思うと、本当に感謝しかない。
そんな母は、今でも頻繁に連絡をくれる。
そのほとんどが、僕を心配してくれるような内容の連絡。
たまに、鬱陶しいと思うこともあるけど、過去を振り返ったとき、常に自分のそばにいてくれたのは母だ。
だから自分にとっての母は、どんなことがあってもいつも身近にいてくれる存在で、感謝してもしきれない、そんな存在だ。
母への思い
お腹を痛めて苦しんでまで僕を産んでくれた母。
自分の精神をすり減らしてまでここまで育ててくれた母。
自分の時間を犠牲にしてお仕事をして、そのお金を僕ら兄弟のために使ってくれる母。
今まで母からは、数えきれないくらいたくさんのものをもらった。
カタチあるものだけでなく、愛情ややさしさ、言葉では言い表せないようなカタチないものも含めてだ。
ダメなことをしたときは叱ってくれ、良いことをしたときは褒めてくれ、頑張っているときは必死に応援してくれた。
机に向かって勉強に励んでいるときは、何も言わずにコーヒーやお菓子などを持ってきてくれた。
その何気ないひとつひとつがあったからこそ、今こうして自分がいたい環境にいることができて、自分のやりたいことができているのだと思う。
そして僕には、「自分で稼いだお金を両親のために思う存分使って、今まで相当な苦労してきた分、ありったけ楽な暮らしをさせてあげる」という大きな夢がある。
今僕がこうして頑張っていられるのも、両親が自分たち兄弟のために必死になって苦労しているからだ。
なぜここまで自分たちに尽くしてくれるのだろう。
もちろん、自分の子供たちだからというのもあるかもしれないけれど、それでも尽くし過ぎだと僕はつくづく感じている。
もし期待されているのならば、その期待を良い意味で裏切りたい。
母はいつも僕に「疲れたら無理しないでね」と語りかけてくれた。
一番無理して疲れているのは母自身のはずなのに。
今度は僕が「もう無理しなくていいよ」と返して、母の時間を母自身のために使えるような生活を送ってほしいと思っている。
ありがとう
普段は伝えたくてもなかなか伝えられない「ありがとう」。
たった5文字だけど、その中には数えきれないくらいの思いや感情が込められていて、とても複雑な言葉。
ひらがな5文字だけど複雑で、とても温かいこの「ありがとう」を、ここでは自分自身の母に、母の日ギフトとともに届けます。
何があってもいつもそばにいてくれてありがとう。
たくさんの想いが込められた「ありがとう」と「母の日ギフト」で少しでも癒しがあげられたらいいな。
いつまでも元気でいて欲しいから。