商品を購入する方はこちら

【発酵思想 Vol.5】“あわい”の哲学 -時は無駄なり。無駄が人生を豊かにする-

こんにちは。
前回の発酵思想では、茶室と発酵のあわいの哲学について綴りました。

今回は、あわいの哲学の第2弾として無駄について綴ります。

【発酵思想 Vol.4】“あわい”の哲学-「茶室」と「発酵」の共通性とは?-

人生を豊かにしてくれるのは、あわいな時であると僕は考えています。

その「あわいな時」とはまさに無駄の追求だと思います。

生産性もなければ効率性もない時間の使い方。

それが現代における無駄です。

Capitalを蓄えるCapital東京とCultureを醸成しCultureする鎌倉

「時は金なり」という社会のイデオロギーの中で、いかにお金を稼ぐか、24時間の時間をいかに効率的で生産的に使うかが都市生活では求められます。

電車の乗り換えも一本でも早い電車に乗るために、出口に近い車両でぎゅうぎゅう詰めになり、エスカレーターを歩きます。

僕も東京という土地に足を踏み入れると、そんな思考に陥ります。

普段、鎌倉に住んでいるのですが、鎌倉にいる時と東京にいる時の時間感覚も思考も感情も変わってしまいます。

東京にいると何かとストレスを感じ、何かに追われているような気がして1日の終わりにものすごい疲れを感じてしまいます。

鎌倉にいる時は、縁側で日向ぼっこをしているようななんとも言えない幸福感に包まれながら、1日があっという間にすぎてしまいます。

まさに、東京という首都(Capital)の存在は、資本(Capital)を中心とした社会で生産性と効率性という無駄を排除して経済合理性を追求する社会ということを象徴しています。

鎌倉は、そんな東京から1時間ほどの位置にありますが、海と山という自然とお寺と神社という文化が融合しており、生産性と効率性から一歩離れた社会が形成されている感覚があります。

自然や文化というのは、何十年、何百年の時間の中で醸成されていくもので、生産性や効率性を追求しないからこそ醸し出されるものだと思います。

鎌倉はまさに、自然や文化(Culture)を何百年という時間をかけて醸成して培養(Culture)する地域です。

生産性と効率性を追求した自然の象徴は、高度経済成長時代に杉や檜を植林した森林ですが、定期的に人間が間伐をしなければいけない森になりますし、根を十分に伸ばせないので、土砂崩れの原因にもなっています。

生産性と効率性を追求した文化の象徴は、流行だと思います。

生産と消費を促し、人々の関心を引き寄せるために、あの手この手で宣伝を行います。

流行は、流れていくものなので、半年、1年で次の流行に移行します。

その移行のスピードも年々早まり、1ヶ月おきに流行が変わるという業界もあるようです。

流行は、消費される対象ですが、人々の生活に根付き安らぎを与えてくれることはありません。

自然と文化という存在は、近代化され資本主義という生産性と効率性の中で無駄とされ排除されてしまいます。

自然を壊し、住宅地にしたり工場を建設することもあります。

日本全国のお祭りは衰退し、消滅し始めています。

生産性がないお金を生まない事柄は無駄とされ、排除されてしまう社会は豊かなのでしょうか。

確かに、GDPでみれば豊かかもしれませんが、僕たち人間はGDPやお金のような数値で豊かになった気持ちになるだけで、一時的な幸せしか感じられません。

生産性と効率性の豊かさというのは、中身のないいっときの幸せなのではないかと思います。

それに対して、資本主義の中で無駄だと排除されるものたちの豊かさというのは、ゆっくりじんわり感じるが長続きする幸せなのではないかと思います。

コーヒーを淹れるという”無駄”

僕は、最近コーヒーの焙煎を始めました。

高校時代までコーヒーが飲めず、大学生になりやっとコーヒーの味を覚えましたが、当時はインスタントコーヒーと粉タイプコーヒーの区別すらつかないほどコーヒーに無頓着でした。

インスタントから粉タイプコーヒーの美味しさに気がつき、粉タイプコーヒーから豆を自分で挽く方が美味しいということに気がつきました。

いまや、生豆を焙煎した方が美味しいということを知り、日々焙煎しています。

インスタントコーヒーは、忙しい日々にコーヒーを飲むことができるという効率性の追求であります。

カフェイン摂取に主眼が置かれています。

それに対して、焙煎を始めクラフトコーヒーをつくり始めてから、コーヒーは飲むものではなく「淹れるもの」だと感じるようになりました。

僕は毎朝、起床後にレコードに針を落とし、お湯を沸かし、コーヒーを挽いて、コーヒーを蒸らし、鳥のさえずりとレコードの音楽とノイズのハーモニーを聴きながらコーヒーを淹れていますが、その工程に日常のゆたかさを味わっています。

生産性も効率性も存在しません。ただ、なんとも言えない”ゆたかさ”が存在しています。

この”ゆたかさ”を多くの人にも味わってほしいという想いから、Arche Roast Coffeeというクラフトコーヒーの珈琲豆屋を始めました。

参考 Arche Roast Coffeeクラフトコーヒーの珈琲豆のお店

この”ゆたかさ”の源泉こそ、生産性から切り離された無駄であり、コーヒーを淹れるという「あわいな時」の存在です。

あわいとは、余白な時間ということですが、余白が生まれやすい環境が「無駄」ではないかと思うのです。

無駄という環境に”あわい”が住みつき発酵されていくことで、人間がその”ゆたかさ”を享受して、幸せを感じるのではないかと妄想を広げています。

縁側という無駄

前回のコラムでも、縁側に触れましたが縁側という空間は、ウチでもソトでもない空間です。

その曖昧な空間は近代建築では無駄とされ排除されています。

日本家屋には当たり前のように存在していた縁側も、新築一軒家でも見ることが少なくなってきました。

しかし、ウチでもソトでもない曖昧にこそ価値があるのではないでしょうか。

その曖昧な無駄な空間で読書をしたりお茶やコーヒーを飲みながら庭を眺めるそんな”ぼー”とする無駄な時間の使い方に”ゆたかさ”が詰まっています。

最近のオフィス環境は、効率性の追求だけでなく、働きやすい職場環境を目指し、家のリビングのようなコミュニケーションスペースがあったり、おしゃれなコワーキングスペースがあったり、仮眠室があったりと落ち着けるような空間設計がされていますが、全てにコンセプトや意味がつけられており、無駄な空間が設計されていません。

生産性と効率性によって資本獲得を追い求め、時は金なりと損得勘定で生きることを余儀無くされる現代の時代において、”ぼー”とできる縁側のような無駄な空間があることが重要ではないでしょうか。

時は「無駄」なり

時間という概念は、人間が心という感覚を獲得し、文字を生み出した紀元前1000年ごろに生まれたと言われています。

それまでの人類は、心も持たず時間という感覚すらありませんでした。

心という感覚が生まれてから過去・現在・未来という時間感覚を獲得しました。

現代人は、一年365日、一日24時間、という制限した時間の中で効率的にお金を獲得するために日々命を使っていますが、そんなにお金が大事なのでしょうか。

1億円というお金を持ったことがない僕はイメージが湧かないため、子供の頃を思い出しましょう。

僕は、中学生時代にお年玉で5000円をもらい、友達が持っていたゲームソフトを買っていました。

しかし、ゲームソフトが欲しいと想いを募らせている時の方が喜びは大きく、お金を手にして、ゲームソフトを手にした時には買う以前よりも幸福度は下がっていたことを覚えています。

個人的な体験に偏ってはいますが、欲している時の期待感の方が手に入れた時の満足感よりも高いことは多くの人が体験していることではないかと思います。

それは、お金も同じなのではないでしょうか。

効率的に時間を使い、お金を稼ぐという行為に没頭している時は、稼ぐことに喜びを感じ、手にできるかもしれない期待感に酔いしれ、手に入れてしまった瞬間に、次の期待感から満足することができません。

つまり、生産性と効率性を高めることによって得られる幸福というものは、満足ができない幸せであり、どれだけ時間を使っても埋まることがない欲求です。

それを俯瞰して見ることができた時、中身のない幸せを追い求めていたことに落胆することでしょう。

少なくとも高校生の僕は、中学時代のそんな自分に落胆しました。

それに対して、無駄を味わうことによって得られる幸福は、満足感を味わうことで得られるため、少しの時間で満足できてしまう幸せです。

せっかく、この世に命あって生かされているわけですし、時間を生産的に使って絶えることのない無限の欲望を追い求めるために命をかけるよりも、生産性から切り離された無駄な時間を味わい、ちょっとしたことに”ゆたかさ”を味わえる「あわいな時」を持った方が僕は充実している人生だと思います。

今この瞬間の連続が過去という時間を積み重ねていきます。

その過去を振り返った時に、いっときの幸せのために「辛かった」「苦しかった」と感じるよりも、特段の喜びはないけども毎日「楽しかった」「ゆたかだった」とほっこりする方が僕は充実した人生だと思っています。

こればかりは、一人一人の人生観、価値観によって変わってしまうので、押し付けはできませんが、僕は人生は非生産的な無駄な幸せを積み重ね、生かされていることに日々感謝して一日一日を過ごして行くことが自分にとって心地がいいので、こういった時は無駄なりと思っています。

「私にとって、どんな時間の使い方が心地いいのか」を考えてみるきっかけになれば幸いです。

参考文献

  • 安田登 『あわいの力』ミシマ社

千葉恵介

1996年岐阜県生まれ。思想家。
感謝経済という見返りを求めない贈与の循環を滑らかにする潤滑油として「ありがとう」を用いた経済を提唱し、共感する人たちと共に醸している。
また、感謝で繋がる恩贈りSNSであるmusubiを開発し、貨幣に頼らない経済を模索中。
参考 【ファンクラブ】一緒に「ありがとう」で成り立つ経済を創りませんか? - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)

今までの「発酵思想」
【発酵思想 vol.0】感謝経済を提唱する思想家・千葉恵介とは? 【発酵思想 Vol.1】発酵から何を学び、次世代に何を残すことができるのか? 【発酵思想 Vol.2】感謝経済を創るのではなく、なぜ醸すなのか? 【発酵思想 Vol.3】〜自分と他者の境界線〜自分を構成してる物は何か? 【発酵思想 Vol.4】“あわい”の哲学-「茶室」と「発酵」の共通性とは?-

Follow me!

PAGE TOP