感性の種類に対して、ことばのボキャブラリー数は圧倒的に少ない

こんばんは。
昨日は星の王子さまのワンフレーズについてお話をしました。

論理ではなく、五感で判断できるような仲間と一緒にいたい。

そしてまたまた今日も星の王子さまの同じフレーズについて
昨日とは異なる視点から話をしてみたいと思います。
昨日引用した部分を再び引用します。

はじめは、ぼくからちょっとだけ離れて、こういうふうに、
草のなかにすわるんだ。僕は横目でちらっときみを見るだけだし、
きみもなにも言わない。ことばは誤解のもとだから。
でも、日ごとにきみは、少しずつ近くにすわるようにして…

昨日はこうやって本当の人間関係はゆっくりと時間をかけて、
発酵させながらいいものをつくっていくんだと伝えたつもりです。

でも今日は、ことばは誤解のもとをもう少し深く掘ります。
なぜ言葉は誤解のもとなのでしょうか。

それは感性の種類に対して、ことばのボキャブラリー数が圧倒的に少ないからです。
歳が上がってくれば、少しずつボキャブラリー数は増えていきます。
しかし感性の種類を越えることはまずないでしょう。

感性には、「なんか」ということばには表せず、
人によって感じ方の異なる不確定なものがいつも含まれています。

だから私たちは自分の想いを100%相手に伝えることは不可能だし、
相手の想いを100%受け取ることも不可能なのである。

私たちは毎日用事がなくとも、会うことを大切にし、
毎日、見えないくらいだけど近づいていくことで
本意も100%に近づいていくんじゃないかと思っている。

日本の文化というものはそこにある気がしています。
日本文化は余韻を大切にし、ゆとりある空間、時間を作り出している。
多分、文化の中でも茶道なんかは最も星の王子さま的な感性に近いのではないかとも思うことがある。

こんな風にいろんなものを見ていくと楽しい。

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