あるお豆腐屋さんの話。

実際に実家の近くにはお豆腐屋さんがあった。
それを知っていたのも、お豆腐屋さんの孫と同級生だっから。

正直その当時の印象は、
「お豆腐屋なんて、古くね?欲しいものはスーパーでなんでも
揃うのになんでお豆腐屋さんなんてやってるんだろ。」だった。

でも今思うと、お豆腐屋さんを今でも続けるてるのにはいろんな背景があるはずだ。
もしかしたらスーパーに押されて存続がすでに厳しいかもしれない。
もしかしたらもうすでに潰れているかもしれない。

最新の状況はわかならないけれど、続けていって欲しい。
もしできることがあるなら協力させて欲しい。

多くの人は「別に無くなってもいいじゃん。」って思うかもしれない。
たしかになくなっって、私たちのほとんどの人の生活には支障がない。
でもそれってなんか寂しいじゃん。

アグクルとして豆腐までいますぐ協力することは難しいかもしれないけど、
こういう地域の個性があったり、昔から続いてきた商店が50年後も100年後もある社会であって欲しいなと思う。

でもそのためには想いだけではいけない。
こういう商店がなくなるのは、別に時代や社会がいけないわけじゃない。
厳しく言えば、ただ単に淘汰されただけである。
社会は基本的に差別しない。
社会の潮流に対して柔軟に対応できなかったから淘汰されたにすぎない。

なくなったら寂しいけれど、可哀想って同情してはいけない。
なんかそういう意味で言えば、昔からまちに存在していて、
今もしている商店は時代に柔軟に対応してきたって言えるんだと思う。

私たち発酵業界も注目されて入るけれど、決して成長産業とは言えない。
(まあ私個人としては成長産業だと思っているし、何より発酵は次世代に大切って思ったからやっているのだけど…)
業界の中は高齢化していると言われ、今後なくなる味噌屋とかも増えるだろう。

だからこそ私たちはときに生産としての目線を持ち、
ときに消費者と視点を持ちながら常にアンテナを張る続けないといけない。
淘汰されないために、柔軟に対応し、昔からあってなんか落ち着くなってものを次の世代に遺していくのである。

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